2017年6月24日土曜日

夏の日。

――その夏の日は、いつもよりも蝉が五月蝿く鳴いていた。そんな中、透きるような肌をした君は僕の方を見て、笑って、そして――
§ㅤ§ㅤ§
確か、それはうだるように暑い夏だったと思う。小学六年生の僕は仕事で忙しい父と母が僕の面倒を見きれないという理由から、田舎にある祖父母の家でご厄介になっていた。
小さいころから何度かこういうことはあり、祖父母の家の勝手も僕は知っていたので、大して困ることもなく僕は例年通りの夏休みを過ごしていた。
とはいえ田舎のこの辺りの小学校に通っているわけでもない僕は他の子と遊ぶ気にもなれず、午前中は宿題をして、それが終わったら一人で本を読む、テレビを見る。それだけの生活を送っていたわけだが。
そんな大した変化もない日々に飽きてきた八月二日の日、祖父母と近所の神社の神主が世間話をしているのが聞こえてきた。
「わしんとこの連中にも若いもんがおらんくなってしまって、そのくせそろそろ盆前じゃけんいろいろと大変でな。最近ではもう境内の手入れさえままならんぐらいじゃ。」
「そんならうちんとこの孫を使いよ。一日中暇にしとるけえ、いろいろ小間使いとかの役には立つとは思うで。」
まあ一日中、というわけではないが暇にしていることは確かだ。
「ボウズ、手伝ってくれるか?」
まあ、ノーという理由もないので、わかりました、とだけ言った。
§ㅤ§ㅤ§
翌朝の八月三日、言われた通り八時半ごろに境内に行ってみると、昨日の神主さんに出会い、いろいろと手順などを教えてもらった。
手伝いといっても午前中だけで済むもので、境内の掃き掃除とか手水の手入れ、本殿の雑巾がけだけだったので、なんだ、それだけか、などと思ってしまった。
八時半からとはいえどんどん気温は上がっていくうえに、蝉は一日中せわしなく鳴いており、一日目、二日目は意外とやってみると疲れるもので、昼からは夕方までずっと昼寝に使ってしまった。神主さんにはよく頑張るな、などと褒められるので、なんとか続けられていた。
そして三日目、手伝いにも慣れてきて、午後に実行するあてもない予定を立てられるくらいにはなった。
そんな矢先、出来事が起きた。
『毎日ご苦労様だね』
ご神木の欅の周りの掃き掃除をしていると、どこからか蝉の声に交じってぼんやりとそんな声が聞こえてきた。
まさか、神様の声⁉なんて考えていると、今度は声ははっきりと後ろから聞こえてきた。
「私と同じくらいの歳なのに、よくそんなに頑張れるね?」
振り向くと、声の主は、彼女は、狛犬の台座の上に座って、こっちを見て微笑んでいた。そして僕が通っている学校ではあまり見ないような服を着ていた。
びっくりするのよりも先に言葉が出た。
「そこ、座ってたら神主さんに怒られちゃうよ。」「あ、そっか。」
じゃなくて。
「君は誰なの?」
この土地の人なのか?
「私はこの神社の近くに住んでるの。いっつも朝頑張ってる君を見てて、偉いなあって思ってたの。」
近くの家に住んでる人がいたのか。
「私は古葉みなみ。君は?」
「都城徹也。今十二歳。」
名前のついでに年齢も告げると、彼女は少しうれしそうに、
「あ、同い年なんだ!」
といって、謎の握手を求めてきた。
よくわからないまま握手を返す。外に出てきたばかりなのか彼女の手はひんやりしていた。
後ろから神主さんが社務所から声を掛ける。
「ボウズ、今日もしっかりやってるな…って、お?お嬢ちゃんも手伝いに来てくれたのかい?」
いや、この人は、と言いかけるとみなみはそれを遮って、
「そうでーす!徹也一人だと大変そうだから手伝いに来ました!!」
と、元気よく言っていた。どうやらやる気のようだ。
「よし、それじゃあお嬢ちゃんにもお願いしようか!二人でさぼったりしないようにな!」
そういって、忙しそうにまた社務所の中に引っ込んでしまった。
「さて、徹也?私は何をすればいいの?」
みなみは僕にむかい、そういった。
「じゃあ、ここの掃き掃除を。」
仕事をさせてみると、みなみは僕よりも全然仕事ができた。てきぱきと仕事をこなしていく彼女を僕は単純にすごいな、と思った。心強いパートナーだ。
そのおかげでこの日はいつもの三分の一程度の労力で終えることができた。
掃除が終わると彼女はすぐに、「あ、私用事あるんだった!!また明日ね!」そういって飛ぶように帰っていった。
毎回掃除の終わりの報告をするのだが、その時に神主さんに「お前いつの間にあんないい子を見つけたんだ?」などといじられ、僕は少し赤面する羽目になってしまった。
四日目からもこの日のような調子で彼女は掃除が終わると「今日は家の手伝いが!!」「あさごはん!!」「部屋をきれいにせんと!!」「蝉の脱皮が始まっちゃう!!」「バラの木を伐採しに行ってまいりますわ!!」「UFOが!!」などと、色々な理由をつけてさっさと帰ってしまう。まあ、手伝ってくれるだけですごく楽しいしありがたいので、文句などは言える立場ではないのだが、ちょっとくらい遊んでくれてもいいのにな、とは思うのであった。
そして手伝い始めて十二日目、みなみと出会って十日目、ちょうどお盆の真ん中のその日、神主さんが掃除中の僕らに向かっていった。
「今日は夏祭りだから、夕方からでも遊びに来いよー」
僕はここぞとばかりに、みなみに言った。
「夏祭り、もしよかったら一緒に行かない?この辺友達いなくてさ、一緒に行ける人がいないんだよね。」
彼女は一瞬逡巡し、「いいよ!」と笑顔で言ってくれた。
そしてその日も、彼女は掃除が終わると逃げるように去っていった。
しかし、今日はこの後に一緒に遊びに行くのだ。この機会をきっかけに近づけるのかも、と、そう思っていた。
しかし、その日、その時間になっても、彼女は、みなみは、現れなかった。
日が落ちて夜になっても、祭りの最後の花火が上がっても、人がまばらになってしまっても、いくら待てどもみなみは現れなかった。
その日の夜、僕は布団の中で今までのみなみの言動、様子などを思い出し、整理してみた。
§ㅤ§ㅤ§
翌日、彼女は神社に現れた。
「おはよう!昨日はいけなくなっちゃってごめんね!なんか予定はいっちゃって…」
「なんかさ、病気にでもかかってるの?」
「…え?」
僕は彼女の言葉にかぶせるように言った。彼女の本当のことを知りたい。そう思ったからだ。
「び、病気なんかじゃないよ~!昨日はほんとに用事が入っちゃって…」
「朝も掃除が終わった後すぐ帰っちゃうのもさ、ほんとは点滴が切れそうだったからだとか、そういうことじゃないの?」
「そんなんじゃ…」
「ほんとのことを教えてよ!!…心配してるんだよ…?」
「…」
彼女は黙ってしまった。いつものような笑顔も顔から消え、少し焦っているようにも取れた。
蝉の声は、こんな時でもうるさく聞こえた。
「もうさ、無理してるんだったら明日からは来なくていいよ?僕一人でも十分やれるから。」
彼女を気遣っているというのもあったが、それは真実だった。もう、一人でも十分できるくらいに僕はこの仕事に慣れてきていた。
みなみはやおら立ち上がり、僕に向かい手を差し出して言った。
「私の体、触ってみて?」
僕は言われた通り彼女に触れようとした。
しかし、僕の手に彼女の触り心地はなかった。そして近づいてみて、彼女の体は少し透けていることに気付いた。
僕は混乱した。
「なんで…」
「私ね、幽霊なの。死んだのは今から五百年前くらいだったかな。私はこの神社が建てられるとき、人柱として埋められたの。この神社は水害とか度重なる飢饉とかで、神の怒りを鎮めるために作られることになったんだけれど、ちょうど嵐の時期と重なってしまって、とりあえずの神への供物として私が捧げられることになったの。」
彼女はそういって、本当に触れないことを確認するかのように僕に手を伸ばし、そして、つづけた。
「私は黄泉がえりするたびにこの集落が、この神社がちゃんと栄えてるかを確認しに来るの。でも神社の境内からは出られないから、君と一緒に帰ろうとして、でも帰れないっていうのが悲しかったから…私は先に帰ったふりをして、物陰に隠れて君のことを見てた。夜に君と夏祭りに行けなかったのは、もう自分がいつ消えるのかわからなかったから。遊んでる途中に消えでもしたら、みんなびっくりしちゃうしね。だから、この時も陰に隠れて君のことを見てた。いつまでも待ってくれたよね?申し訳ないことしてごめんね?」
僕は何も言えず、ただ彼女の言葉を聞いていた。
「君に会えて、君と掃除した日々は本当に楽しかった…我儘を言うともっと遊びたかったけど、そんなことは贅沢すぎるよね…」
しかし僕には、なんで彼女がこんなにも焦っているのかわからなかった。
「来年も会えるんじゃないの?」
「私程度の力だと、五十年に一回が限界みたいなの。だから、次に会えるのは五十年後…もう君が忘れてるかもしれないから、こうして言いたいことを全部伝えたいの。」
五十年…まだその四分の一程度しか生きてない僕にとって、その年月は途方もないものに感じた。
「約束はできないけど、五十年後の僕は、きっとここに戻ってくる。だから、さ。安心しして。」
確信は持てなかったが、こんな不思議な体験は生涯忘れることはないだろうと思った。
そういうと、みなみは泣き出した。
「ありがとう…忘れないでね?私のこと、この神社がこうであったこととか、欅のこの姿とかを。きっと五十年後は、みんな変わってる。それでも君が来てくれるっていうのなら、忘れないでね?」
「うん。約束するよ。絶対に、忘れない。」
その言葉を聞くと、彼女は満足したように、少しずつ消えていき、やがて、景色へと同化して見えなくなってしまった。
§ㅤ§ㅤ§
そして僕の夏休みは終わりを告げた。父も母も仕事がひと段落つき、僕は夏休みに祖父母の家に泊りがけで行くこともなくなってしまった。そしてその集落のことを片隅に考えながら学生生活を送り、就職し、結婚し、仕事でも順風満帆に出世していった。
祖父母は僕が学生の間に亡くなってしまい、神主さんもその後少したって亡くなったらしい。しかし神主さんの跡継ぎはおり(その跡継ぎは私と同い年であった)、神社と集落は長い間栄えつづけた。しかし少子高齢化のあおりも受けじわじわと人口は減っていき、私が五十歳の時にすべての人間がその集落を去り、廃村となってしまった。
その後も神主の跡継ぎは神社に通い続けその神社が廃れないように手入れをし続けたという。
そして、話は私が六十二歳の時へと。
ある日、その跡継ぎから連絡が入った。
「君に会いたがっている人がいる。一度こっちに来てみてください。」
集落のあった場所に行ってみると、集落の入り口に跡取りが立っていた。
「ご無沙汰してます。」
「ああ、どうも。同い年なんですからそんなにお硬くならなくて大丈夫ですよ?」
という会話を交わしながら、私たちは村の奥へと進んでいく。
今年もあの年のように蝉がせわしなく鳴いていた。
「実は私、あなたとは十二歳の時にも会っているんですよ。夏祭りの時だったかな。あなたは覚えてないと思いますが、あなたがずっと立っていたの隣の場所に屋台を出していたんですよ。」
「ああ、そうなんですか!?よく覚えていらっしゃいますねぇ」
私はそんなこと全く覚えていない。あの時はあの人のことしか考えていなかった。
「着きました。これが現在の神社です。」
そこは五十年前とはずいぶん景色が違っていた。あの大きな欅は切り株だけになっており、本殿は建て替えられていた。
「で…あれ、肝心のあの子がまだいない。」
「ああ、あいつと会うのなら多分朝になるでしょう。いつもそうでしたから。今夜一晩泊まりたいのですが。」
「ええ、大丈夫ですよ。」
そして次の日。あの時と同じように、八時半から私は箒をもってその場所の掃き掃除を始めた。意外とやってみると体は覚えているもので、普通に掃除ができた。
その時、神社に一陣の風が吹いた。
『覚えていてくれたんだね。』
蝉の声に混じってどこからともなく、声が、聞こえた。
ああ、あいつの声だ。
そして、今度はその声が後ろから聞こえた。
「おかえり。」
彼女はあの時のように、狛犬の台座に腰かけていた。あの時と同じ顔、同じ格好で。
私は涙をこらえながら、こう言うことにした。
「そこに座ってると、神主の跡取りにおこられるぞ。」
彼女は、懐かしそうに微笑んだ。
「そうだね。」
EㅤNㅤDㅤ…

0 件のコメント:

コメントを投稿