2017年11月3日金曜日

チキン南蛮は突然に。

「ということで、チキン南蛮を買ってきた。」
彼女は部屋に入ってきたなりこのように述べて、自分の手に持っていたビニール袋を僕の前につき出した。
「いや、どういうことだよ。」
寝転がっていた僕は彼女を仰ぎ見た。鼻の先にはいい匂いのする弁当のような物の入った袋。
「説明すると長くなるから省略。あーお腹減ったいただきまーす。」
彼女は机の前に座ると、ビニール袋から弁当を取り出し、弁当へ合掌。放り投げられたビニール袋は床の上に落下し、しぼんでいった。
そこで僕はなんとなく察した。
「俺の分は?」
彼女は大きなチキン南蛮をほおばりながら、
「ふぇ、ふぁいよ(え、ないよ)?」
と、きょとんとした顔で言う。
部屋の中には彼女が買ってきたチキン南蛮のいい香りが広がる。
重い体を起こしながら、僕は彼女に面と向かって言うことにした。
「おい、美尋。」
「ん?」
チキン南蛮の隣に入った白飯をつつきながら美尋はそう返す。
「なぜ俺の分を買ってこなかった。」
すると美尋は「はぁ?」というような顔をして、
「だって君はなんでも作れるじゃん。」
と言った。まあ確かに料理はよく作る。美尋の分まで作って、一緒に食べることも多い。
しかしだ。
今日の相手はチキン南蛮だ。
あえて言うが、僕はチキン南蛮が大好きという訳ではない。
しかし、そんな僕でさえもあの匂いがすればお腹が減って仕方がない。それだけ強く食欲を刺激する芳香を放っているのだ。
「何か自分で作って食べればいいじゃん。」
美尋はそう続ける。
「いや、もうチキン南蛮以外の選択肢思い浮かばないし!でも作ったら絶対そっちのが美味いから!そもそもお前もこの匂いに惹かれて買ったんだろそりゃそうだよなめっちゃいい匂いだもんな!だったら今の生殺しにされてる僕の辛さわかってくれるよね!?あーお腹減ったなーねえこの気持ちを何にぶつければ良いのかなぁ????」
美尋は絶叫というか心の叫びをぶつけている僕を見て、一言。
「慈悲は無い。」
「この人でなしっ!!」
「しょーがないじゃんチキン南蛮美味しいんだから!他の人にあげたくなるわけないよねー。あーめっちゃうまい!チキン南蛮めっちゃうまい!!最高だわあああああああああああやべええええええええええ!!!」
美尋は机の対面に座る僕に金色に輝く衣に包まれた肉塊を見せつけながら煽るような口調で僕にそう言った。
「ねえどんな気分??ねえねえどんな気分???目の前で自分が食べたいものを食べている人がいるのに自分は一口も食べられないのってどんな気分????ねえねえねえ?????」
美尋はいつもこのような鬼畜っぷりで僕のリアクションを楽しむ。
「というか、そんなに食べたいんなら買ってくればいいじゃん。」
違う。そういうことではない。自分はたしかにチキン南蛮の匂いでここまで精神を削られる。だがしかし、前にも言ったように自分はチキン南蛮が大好きという訳ではない。一度外に出て買いに行くなどそんな面倒な事はしたくないし、そもそもチキン南蛮の匂いがない空間に出てしまえばもうチキン南蛮のことなどどうでもいいのだ。加えて今日のこの寒さ。絶対に外に出てたまるものか。
「そこまでして食べたいわけじゃないんだよなー。」
「なんだよ君は本当にめんどくさがりやだなあ。」
「だってこの寒さだぜ?」
そう言うと美尋は何か思いついたように僕の前に人差し指をスッ、と出し、その指を2本に増やしてピースサインを作った。
「…なんだ?」
「一口二百円。」
「たけーよばか。」
鼻で笑いながらそう返す。
「嘘だよ。はい、あーん」
美尋はそう言い、弁当の最後の一個のチキン南蛮をこちらへ向ける。
しめた、とばかりに僕も口をそちらに向ける。
「あーん」
美尋はニヤリと笑うと、箸を方向転換させそれを自分の口へと持って行く。
正直、激しい絶望と怒りを覚えかけた。おちょくりやがって。ため息をつく。
「本当に君はしょうがないなあ。」
直後、美尋はそう言うと僕がため息をつくために開けていた口にチキン南蛮を突っ込んだ。
もが、となりつつも、口一杯に広がるチキン南蛮の甘さ、辛さ、ジューシーさを噛みしめる。
やはりおいしい。